杉田味噌屋
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『雪の花』みそ
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創業江戸文化文政、その歩み。
 私共が店をかまえる越後高田は、高田藩15万石の城下町でした。京御所を崇拝していた上杉謙信の地元に徳川家康の六男の松平忠輝が、舅の伊達政宗の助けを借りて築城した高田城がありました。やがて加賀藩を牽制するための北国街道の要地になり、上方や江戸、そして仙台と様々な文化の影響を受けた、越後でも特別な文化が育まれた地です。
当蔵元の創業はおよそ1820年、江戸文化文政の頃。越後高田の城下町で市井の糀(こうじ)屋から始まりました。当時より、高田の町屋では味噌を自家醸造していたもので、私共は味噌仕込みに不可欠な糀造りを生業としておりました。その後糀造りとともにみそ造りの味と技術が評判を呼び、今日まで地元の文化に根ざした味づくりの継承に精進してまいりました。

越後高田の味噌文化
 味噌の味にもその独特の文化の影響が現れています。
ご年配の方は、二年味噌、三年味噌という長期熟成の味噌が一般的だったことをご存知でしょう。これは昔の自家醸造の味噌は塩分が高い上に、糀の使用量がとても少なく、その上熟成場所がひんやりとした土蔵だったため、熟成期間が短くては、おいしい味噌ができなかったことに起因しています。
ところが、越後高田の町家では、仙台味噌の系統の赤味噌でありながら、上方文化の影響からか糀の使用量が多く、また塩分のさほど強くない味噌が自家醸造されていました。これこそが当地の味噌文化であり、糀を多く使って仕込む分、ひと夏の熟成で旨みと甘みの調和した、まろやかな風味の味噌が出来上がります。当蔵元の味噌もこの伝統を継いでおります。


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